希望

我思う、ゆえに我あり

マイコ:
georgebush.exblog.jpおもろいな。こうやって笑いながら人をぶちたいもんだわ。ノムノムの二重手術しらんかた。どうでもいいが。今でもあの日金閣に行って石を投げてやればよかったと悔やんでおります。言ってもわからんやつにはポカだ!というやつにはもうポカしかない!http://www4.synapse.ne.jp/kikai-kyoi/うたも奄美パーク等でよく流れている有名なものです。期間限定喜界の地図もごらんください。おじいのいえは赤連(あがれん)です。

めぐみ:
ともちゃんごめんね、あたいの世紀の大発見のせいであなたの安眠を脅かして。台北でまたマンゴーのおじさんとこ行ってくるわ。願わくば2ショットを撮ってこむ。生だこ、好物です。


応用言語学の勉強をしている時、「ステータス計画」とは「複数の言語が存在する国家が、ある特定の言語に対してステータスを与える」ことであると出てきたときに思い浮かんだのが、アイヌであり、奄美・沖縄地域の「日本標準語励行」のための「方言札制」です。しかし、私(フリーター)と比べると明らかにステータスのある大の大人が「日本にはこういった政策はありませんねー」といいました。このことが「知らないでいることが歴史を隠し、差別の助長につながる」ことを証明しました。「知らないでいること(それに満足していること)が差別の助長につながる、いじめに加担している」と思ったのです。差別がこの世からなくなる事を望む、とはいいません。(人の心のなかに差別心がある。)でも知ることを拒絶するようにはなりたくないし、他の人もそのようであってほしいと望んでいます。



では では