兄貴のB.D

kummi2004-12-08

真珠湾攻撃の日です。今日で日記1週間。結構がんばってかいてると思う。
関西弁と関東弁がまじるのは、うちの頭ん中がそういうつくりになっているから。
パソコンなんかを使うときはWORDの機能とかで関西弁は全部波線引かれてしまうからややこくてつい標準語になってしまうんやとおもう。
ちなみに家庭内言語は標準語やった。小学校に入ってシンガポールから転校してきた子に「くみちゃんは標準語だからなじみやすかった」ていわれ、「え!?あたしって言葉違う!!」と気づき(遅い)、級友を観察し、京都弁を習得したのでした。京都弁ゆうても町中の言葉やないから「いらう」とかは他の子に教えてもらったりしたけどな。両親が日本の島国の中でも「歩いて日帰りできる距離」とかで育った間柄ではないのでこういった現象がおこる。新興住宅地(その当時は)やったし、こういった家庭は他にもあったおもうけど。ちなみに兄は標準語のまま通し、東京へ出てばりばりの東京弁になって今では群馬の人と化している。
ちなみにおもうこと。(一番高い音を5、低い音を1とすると)「かなり」って前は「トトロ(531)」と同じ音程(標準的音程)やったのが、いまや「くるみ(135)」と同じ音程になってる。これは元SPEEDの今井えり子(漢字わからん)が広めたと思っとります(爺)。もともと沖縄の人は語尾が上がるのですな。鹿児島でもその現象が見られる。語尾だけやなしに文末になるにつれてだんだんと上がる癖があって、一つの単語ごとにあがったりする。   
うちらが高3のときから「かなり」は「くるみ」とおなじ音程になってくる現象が見られた。ちょうどアイスかなんかのCMで前述の今井君が「かなりおいしい!」と沖縄なまりでいった時期でした、最初に取り入れたのは流行に敏感な中高生やった、といっても要はテレビをよく見る子。本土の人間にとっては気をひく発音やった。言語の本質は移り変わり廃れ生成される、流行とよく似たものやからそのはやりよろしく浸透していった、と思うのです。