完徹。

ですね、気持ち悪さもない。風呂入ってすっきりしますか。
ちなみにこんなサイト見つけました。どーゆう仕組みなんか知らんけど。
クリックで救える命、、だそう。

9時から1時まで寝たあと、これに行ってきました! 『創造談義・北九州』テーマは街とアートとクリエイションだそう。
トーナスカボチャラダムス氏と竹川先生のはなしがおもろいねん!!
他に白川直行氏、中原蒼二氏がパネリストとして参加、コーディネーターは染織家の築城則子さんでした。後の三方については詳しく知らんのやけど、竹川先生とカボチャラダムス氏はお友達で、ふたりがあつまったらおもろいときいてたから行っちゃった☆
築城さんはどうにも街と芸術を取り混ぜたようなお話をしたがってたけど、トーナスさんが暴走して、(来たときから顔赤かったけど、もしかして飲んでた?照れ屋さんなんでしょうおそらく)街とアートとクリエイションなんて言っても根っこがしっかりしてないと行き倒れやということをおっしゃって、そこからおもろかってもっとその続きを聞きたかったけど、時間切れやった。
国王(トーナス氏)が言うには、『豊かな社会は貧しい』と。ここでいう豊かなってゆうんはGDPが高いって言う意味。経済ではそれを豊かさの指針にする。でもそんな社会ってゆうんは、コストを切り詰めて、人と人の関わりを絶って(流通ルートの短縮)、ひとつのものに時間と金をかけへんやり方が推奨されてる。そんなんてまずしいやんな。そして唯一無二のものなんて存在しーひん。「誰でもないあなた」なんていらへんから「それなりにみんなと同じことができる人」が必要、んで学校教育の名の下に顔のない人間を大量生産する、と。
国王の住むカボチャドキア民主主義人民共和国ゆうんは『貧しい社会は豊か』を地でいく。国王の帽子は四季によって色や大きさが変わるけど、なぜなら手作りやから。服でいえばシャツとオーバーオール、銀色のブルゾンかっておくさまの手作り。それはGDP換算から言えば最貧国にあたいするってゆうてもえーけど、手作りのものってほんまにうれしいしあったかい。「世界に1個だけ」ってみんなほしがるけど、そんな数字より「私のためにあなたが作ってくれた」ってことのがうれしくない?
竹川先生の語る美しさとはソロモン諸島やバヌアツで化石燃料からの自由(FFF:fossil fuel free)を実体験として持っているからこそ重く響く。いま、化石燃料がなくなったら生きてけへんくなるんは、ソロモン諸島やバヌアツの人ではなく、コンクリートアスファルトに囲まれながらも鈍感に生きているうちらのほうなんやということ。
そのほか建築とか街づくり云々かんぬん話したはったけど、たとえばスペインのビルバオとかイタリアのトリノとか、、、西洋と日本とはちゃうゆうとんのになー、それをトーナスさんが指摘したら皆うんうん言い出して、日本はアジアやってあたりまえやん。もっと屋台だそうや!「心の豊かさ」とか耳障りのいいことゆってんと「歌って踊って暮らしたい!!」ゆうたったらええねん!このキチキチの、そう思わせてる文明や風潮、教育をどーにかしようや。
疑問ゆうたら中原さんのゆうとった「規範の外の美しさ」ってゆうんがいまいちちょっと。。。彼はテント張って演劇して7年も過ごしてはった人やから、その活動をする上で、規制を強いられて苦労したこと思い出してはったんかなって思ったけど。日本人て「衛生的、清潔=美しい」っておもてる。それは日本語がミソくそ一緒やから起こる混乱やと思う。「街がテントを排除する」っていわはったんが印象深かった。確かにいくら北九州でも街中にテント張ってたら目だってしゃーない。もうテントが似合えへん場所になってしまったんや。それは社会の変化とつながってるってことやあー
ほか気になったんは「現代女性における余暇と芸術の関連」、「履物と家の開放性と閉鎖性の関係」「倉をねぐらにした日本人」とか。そのうちまた考えます。
アートがアームと同じ語源で、「つなげていく力」を表すようにこの会も続くといい。