三塔寺

六本木ヒルズ」だけではなく、「バベルの塔」のみならず、塔というのは人に深く印象を刻み込む物だ。それは特に権力に密接に結びついている。古くはトーテムポールの形をとって権力のありか、神の力の下りてくる場所を示していた。建築当時の出雲大社は48メートルもあったらしい、大きな木が禁忌の象徴になるのもこういったことからきているのかもしれない。日本の大都市と言われる場所でこぞって「○○タワー」が建造されるのもそういった意識が働いているのだろうと思う。

では、新興住宅地の子どものトーテムはなんなのか、わたしには給水塔であった。敷き詰められた白の長方形の間を縫うようにぽつぽつ立ち並ぶそれは、幼心に中に入ってみたいという憧れと、中には何か恐ろしいものが棲んでるかも、、、という恐怖を与えるに十分だった。そしておあつらえ向きに背後には木が植えてあり、内側はぽっかりと空間が出来ている。昼間でもそこだけは暗いのだ。わたしたちはよく給水塔にもたれたりしてこの中でおしゃべりをした。そこは外から誰にも見られず、落ち着ける、安心できる場所だった。
今は前を立ち過ぎるだけだが、昔はよく下から何度も眺めて飽きないものだった。下から煽って見てくと、その高さに頭からひっくり返りそうになった。
人の気持ちが乗り移った木彫りのトーテムは日々風雨にさらされ、次第に色がはがれ苔生し朽ちていく、また100年もあれば倒れてしまうだろう。この街の給水塔がこの20年の間に何度も塗りなおされ、真新しくなる過程を何度か目にした。

どうということはない、ただ自分にとってトーテムは自然の木ではなく、味も色気もない給水塔なんだな、と確認しただけだ。ではナスカの地上絵なんかは権力放棄を地上に投げ出した最もかっこいいものなのかも、なんたって空飛ばなきゃ全体像が見れないもんね☆