澳花村

村

原住民の過去とこれから。山から下ろされ、強制定住させられたタイヤルがこれからたどる道。日本統治時代を経験した人は高齢になっています。かつて「鯨面」とよばれるほど盛んに顔面に刺青を施したタイヤルですが、日本統治時代台湾総督府警務局理蕃課よりイレズミ禁止政策を受けたため、いま顔面に刺青を入れているひとは見当たりませんでした。そして若者は「有纹面的人不好看」と言っていました。腕にイレズミをする人はいましたが図柄は以前のものとは異なります。


女性の必須技術とされる機織は、民族主義の高揚により85年から烏来で見直されるが、すぐにその目的は「伝統文化の継承」から「商品化」へと変わる。(順益台湾原住民博物館「揺擺布錠―烏来原住民族紡織文化展―」)

そうか、「伝統織物を観光資源として商品化して現金収入を得るのか」とおもい、烏来(烏来は温泉もあり台北から程近い山中である。)に行ったが九份でみたような出店ばかり。どの店も同じものを同じ値段でだしている。あれ?どこにタイヤルのものがある??どのみせがタイヤルが経営している??どの店で聞いても「我不是泰雅族」。タイヤル族博物館においても案内役は漢人だった。(皮肉にも今まで見たどの博物館よりも内容が充実していてわかりやすかったし、衝撃的な漢人批判も見受けられた。)

観光資源を残し、タイヤルはどこへ消えたのだろう。漢人の入植により漢化が進み、純血のタイヤルは姿を消したということか?それとも観光資源のみが奪われ烏来のタイヤルはどこかへ行かざるを得なくなった?烏来の観光資源に食いついた漢人から金を得て大都市へ引っ越した?
タイヤルでない人が行うタイヤル観光、こんなのしたい?ともかくも烏来は奇妙な観光地だった。

タイヤルは原住民であるために高い教育を受ける機会が漢人と平等ではない。そのため就職など社会生活において大変不利になる。台湾の目を見張る経済発展のうらには、MRT開通や超高層ビル建設に命をかけて(文字通り命を懸けて)従事した原住民の姿がある。現在も村に住むタイヤルは危険をともなう肉体労働の最中に死亡したり、母親は出稼ぎで、家族一緒に住めない家庭もある。
村では身障者も知的障害者も働かない人間もともに暮らしている。規格外の人間を無視する管理方法はここにはない。誰がどこに何をしにいったか、人に聞けばたいがいわかる。村民が自然とお互いに気を配っている。少人数単位で部落ごとに棲み分けているタイヤルの時代から、この村にはホームレスなどいない。存在しようがないのだ。
タイヤルといえば「出草」「霧社事件」ばかりが大きく取り扱われる。タイヤルは祖先の伝統を守ることを最も重要視してきた点で他の原住民とも異なる。南洋のビッグマン制に似た(同じかどうかよくわからない、「頭目」には絶対的な権限はない)「頭目制」はその社会の秩序を保つための高度な自治方法だ。「出草」は清朝が介入してきた時代から盛んになったことが確認されているし(自村落を守るため)、「霧社事件」はその原因を考えればおのずと非はどちらにあったのかわかるだろう。


漢化、といえば南澳郷の中心部、南澳村はすでに半分ほど漢化が進んでいるという。このまま漢化が進めば純粋タイヤルという子どもはいなくなるだろう。南澳村は鉄道が走り、駅前には巨大な観音像にコンビニ、ドリンクバーに銀行、郵便局、小中高校等々。やっぱ漢人の住んでるところってなんでも揃ってるんですね!と言いたくなる。それがいいものかどうかは別として。。。

村では生活に必要なものは店で売っている。食糧は裏庭で鶏やアヒルを飼っている家もあり、他に小型トラックで刺身から野菜、果物、雑貨まで売りに来る。(毎朝そのスピーカーの音で目覚めるほどにうるさい)しかし、値段が高い。台北に比べると村は運び賃がかかるので物の値段が高い。現金収入はその反比例でとても低い。

ここの言語はとても興味深い。

  1. 老人どおしが話すとき、主に日本語を使う。意味内容は一昔前の言葉で(例,バカ=シンケイしてる)、発音は沖縄方言に近い感覚をうける。ローライアコンによると日本統治時代に「蕃童教育所」で教えていた先生は熊本出身とのこと。長沢利明氏の短信(焼畑の昭和草)の話と通じるところがある。
  2. 若者は国語(北京語、マンダリン)に簡単な日本語をつかう。私に気を遣ってではなく、村の若者同士で話す時も簡単な日本語がでてくる。(例,アンタミル)
  3. 若者の下ネタ話はほとんどが日本語で構成される。この話題の時は聞き返したり聞いてわからないということはない。
  4. 学校ではタイヤル語を教えているが子どもたちはほどんど話せないし、日常的には全く使用しない様子。老人はタイヤル語をたまに使う。それを、中年より上の世代は理解している様子だった。

先輩と長々話した結果、これからのタイヤルがどうするか、タイヤル自身が自覚的でなければならないだろうということに落ち着いた。


今日のTECC,対策学習全くしなかったけど、結構7〜8割いけました。南澳村の子どもやかっこいい若者のおかげで聴力あがったかな?次はリーダーの早口を聞き取れるまでに成長したいです。